それを魔法と呼ぶだけで

AFPで、スイスの機械芸術職人フランソワ・ジュノー氏についての記事を読む。「機械仕掛けの作品に再び目を向ければ、不思議だと思い、魔法がよみがえるのです」

朝日を合図に起き出して、白湯で漢方を流し込む。お腹がじわっと熱くなる。本を読む。三十年前に死んだ人の自伝を読む。三十年前に死んだ人の言葉が頭に流れ込む。

冷静に考えてみると、魔法に囲まれて生活している。

昼前、吐き気。両手両足の痺れ。めまい。こういう症状の出る身体で三十数年生きてきて、もはや逆に痺れとめまいのトリップ感がちょっと気持ち良いと思っている自分がいる。買っておいたシュークリームが食べられない。音声編集、ギターとドラムの練習、仕事のメールの返信……までやったところで、気分が悪くなり、少し眠る。ここ数日、不調が続く。季節の変わり目を感じる。めまい、という言葉は音が甘美。めまい。めまい。めまい。めまい。

漂瓶 [Piào píng]

海の流れを知るために、人間が海に投げ入れる瓶。中には手紙が封じられ、開けられるのを待っている。「この漂瓶を見つけた方は、どこにいるのか書き添えて、ここまで送り返してください。」

漂う瓶を手にした人も、自分と同じ言語の話者だと、投げ入れる側は期待して、自分の言語で書いている。