女性が女性に惹かれた時、その人と自分との関係性をどう築いて行くかという以前に、「私はレズビアンなのだろうか」という問いが立ちはだかってしまう。
レズビアンだというカミングアウトを自分に対しても選んだ人に対しても済ませたところで、こんどは、「レズビアン」という言葉が「私」を規定してくるような、「マジョリティとは違ってレズビアンという種類の人間であるマイノリティの私」という立場に自分を置き続けることになるような気がしてくる。
レズビアンという言葉が、あなたという人間を覆う大きな名札のようなものとしてあなたに貼られては残念です。
レズビアンという言葉が、ある種の制服のようにあなたを包んであなたを規定しては残念です。
特に日本語で「私はレズビアンです」というとき、それは英語で「I am lesbian」というときとちがい、名詞的にはたらくのではないでしょうか。
英語でのカミングアウトでは「I」が核にあり、それをlesbianであるとかJapaneseであるとかいったことばが形容する。
日本語ではこれが、「私は日本人です」というように、「私はレズビアンです」と、人間の種類を指すようなひびきをもってはたらいてしまうのです。
日本語で「私はレズビアンです」というときも、この「レズビアン」を形容詞としてとらえることは文法的に可能でしょう。
ですがやはり、英語と違い、明確に文法的に言い分けるしくみになっていません。なにより、「レズビアン」は日本語にとって外来語です。
このことから、日本語話者にとって、「私はレズビアンです」という表明が、レズビアンという種類の人間として生きなければならないのだという不自由さに結び付いてはいけないと、この文章を書き、音声を録音しています。
▼同じことを音声でお伝えしている12分間のトークです。
レズビアンという言葉は、同性愛を病気だとしていた時代の医学論文にあらわれたものを、「わたしたち」のチーム名として取り返したものであったはずです。
病名でもなく、人間の種類の名前でもなく、これは、生き方のチーム名。
人生というものをそのチームでプレイするのも、ひとりで好きにプレイするのも自由であるはずです。
「レズビアン」というアイデンティティをもたなくても、レズビアンをカミングアウトしてパートナーと同性婚する権利を訴えて生きていかなくても、たとえば、女同士での特別な、名付けぬ絆をはぐくんでいくことはできる。
また「レズビアン」は、ひとりでいたって「レズビアン」です。
女性同士での性的な触れ合いをもった経験があるかどうか、特別なパートナーといえる女性がいるかどうか、また、消去法的に、男性に性的関心を持てるかどうか、そういった経験や状態が、あなたを外側から規定するものではないはずです。
「レズビアン」を名乗るかどうか、また、どういう場でどういう意図を持って誰を選んでそれを表明するかは、その人が自分の意思で決めることです。
「レズビアン」ということばがそもそも、ギリシャのレスボスという島の名前であったものから、ある種、英語話者によって奪われたものであるということも、ここで指摘しなければなりません。レスボスの島の住人たちの一部が、島の名前を「女性同性愛者」の意味で使われることは不当であるという声をあげ、訴訟を起こしたこともあるのです。
英語での書き手、Julie Bindelさんが、実際にレスボス島を訪れてThe Guardian誌に寄せた文章へここでリンクしておきます。
https://www.theguardian.com/world/2008/may/08/gayrights.greece
こうしたことから私、牧村朝子個人は、「レズビアン」という言葉を、自らを規定する言葉としてではなく、「先人たちが丁寧に重ねてきてくれた説明をきゅっと詰めた略語パック」としてありがたく使わせていただくようにしています。
先人の仕事の積み重ねには紹介しきれないものがありますが、そのひとつとして、掛札悠子さんの『「レズビアン」であるということ』を推薦します。
https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309241340/
また、フランスの男性作家フランソワ・クプリーが著した『Je suis lesbien(ぼくはレズビアン)』より、恐縮ながら、この言葉を、わたしの訳で紹介します。
“レズビアンである、ということ。それは、満たされることを待たない、無欠の無としてあることだ。”——Un vide irremplaçable qui ne manque de rien.
「世の中にはレズビアンとして生まれつくマイノリティの人間たちがおり、私もどうやら、そのような種類の人間たちの一人のようなのである」というとらえかたを、しなくていい。
それはカミングアウトのようでいて、既存のカテゴリに自分をインする行為であるわけです。
レズビアンということばは、どうか自分が自由になるために使ってください。
このことを一緒に考えるための題材として、トークバラエティ『上田と女がDEEPに吠える夜』の「レズビアンと社会」特集回をお役立ていただければ嬉しいです。テレビ放送ののち、TVerというアプリで見逃し配信をご覧いただけます。
https://www.ntv.co.jp/hoeruyorudeep/articles/40838u0ac4dwwa1pzu71.html




