駅前どころか自宅留学

新刊『旅する文筆家!まきむぅと巡る世界の英語』に書いた通り、もともと、英語学習を“させられる”感覚にわたしはめちゃくちゃ反発していた。義務教育で強制され、入学試験としても就職試験としても課せられ、あったりまえのように世界共通語ですという顔をしてのさばっている、元帝国主義の戦勝国の言語。そう思っていた。

正直、今でもそう思っていることに変わりはない。ただ、変わったのは、言語を「国」ではなく「人」単位で見るようになったことだ。言い換えれば、「あの国のやつらはみんなあの言語を押し付けてきて偉そうだ!」みたいに怒るんじゃなくって、そう思うならとにかくひとりひとりと話してみようよ、って姿勢になった、ってこと。

手順としては面倒だけど、感情としては、ずっと楽。

英語を勉強“させられる”ことにキレていたわたしがやったのは、現代ギリシャ語の勉強だった。英語で「ちんぷんかんぷんだ」っていうのを「全部ギリシャ語に聞こえる(It’s all Greek to me)」って表現すると聞いて、よし、じゃあわたしの英語を笑いものにする英語話者が理解できないであろうギリシャ語を勉強してやろう、って思ったのがきっかけだった。まじでキレていた。始めたのは確か2000年代だったけど、この頃は現代ギリシャ語をやろうと思うと入門書もレッスン代も高かった。だけれど今は、オンラインレッスンの仕組みが発達している。

要するに、外国語を日本語で教えてくれる先生を探そうと思うから高いのだ。レッスン代の何割かは、外国語の先生が日本語を習得するまでの労力、および、日本語で説明してくれる労力に支払われているものだと思う。ある程度、英語を習得しておけば、英語で説明してくれる語学の先生がたくさん見つかる。明日からドイツ語のオンラインレッスンを受けはじめるのだけれど、ありがたいことに、英語圏の語学教師仲介サービスを使ったら、あんまり高くなくてすごくわかりやすい良い先生と出会うことができた。

日本語を超える大言語(話者数の多い言語)を介して、小言語(……というとなんか失礼に響いちゃうけど、要するに、話者数の少ない言語)を習うと、本当に安く済む。例えば、日本語でヨルバ語を教えてくれる日本在住の先生のレッスン代はすごく高いけど、フランス語でヨルバ語を教えてくれるベナン共和国在住の先生の中には1時間600円なんて先生もいらっしゃる。でもこれは、もともとフランス共和国の人々がベナン共和国を植民地支配していたせいで、ヨルバ語話者がフランス語を押し付けられた結果……さらにはいわゆる“先進国”が足元を見た不当取引などでベナン共和国の経済発展を邪魔した結果だと思うと、1時間600円でフランス語でヨルバ語を習うなんて、搾取なんじゃないか?という気がしてくる。

台湾に留学した時も同じことを思った。台湾は繁体字の中国語を使っていて、それとは別に台湾語もあって、さらには漢民族が来る前から暮らしている先住民の諸言語も話されている。例えばタオ語、アミ語、パイワン語、ルカイ語、プユマ語、タイヤル語とか。だけれども、そういう背景を知ってか知らずか、日本から台湾に留学する人たちの一部は、こう言ってはばからない。

「台湾のじゃなくて、中国の簡体字中国語を教えてください。仕事のためにHSK(※中国語の試験)を受けるので」

ちなみに日本という国は台湾に日本語を押し付けたこともあるわけなので、「台湾の言葉はいいから中国の言葉を教えてくれ。でも中国までは行かない、台湾の方が近くて安いんだもん」って態度の日本人を見ると、ちょっといくらなんでも敬意がなさすぎやせんか、という気持ちになってしまう。が、視点を変えて見てみれば、わたしのほうが甘やかされているのだ。わたしは言葉を専門とする個人事業主であり、一応いまんとこ生計は成り立っており、「HSKを受けてこい」なんて命令をされることもない。けれども台湾で簡体字中国語を勉強しようとする人は、何かの理由で、「あんまりお金はかけられないけど簡体字中国語を勉強しないと食っていかれない」という状況にあったりする。

駅前どころか、オンラインレッスンでの自宅留学が簡単にできる世の中になった。いまわたしがこの文章を打ち込んでいるパソコンは、12時間後にはドイツにいるドイツ語の先生のところとつながる。歴史を、社会の仕組みを、完全にわかることなんてできないのかもしれないけど、わかるつもりがないせいで知らないうちに搾取に加担しているなんてことにはなりたくないなと思う。画面一枚隔てて(インターネットがあれば)どことでも繋がれる世の中だからこそ、その向こうの人に敬意を持ちたいし、何を越えて/何を越えられないままで向き合っているのかということを省みたいのだ。

これで、ドイツ語、台湾語、繁体中国語、ボイストレーニングのオンライン授業を受けていることになる。日本から、ドイツ、台湾、アメリカにいる先生と繋がる。インターネットと、英語を介して。

2000年代、まだZOOMとかスカイプとか存在してなくってギリギリMSNメッセンジャーがあったかな程度の時代、「英語を強制されている」ってキレていた子どものわたしに、いまの状況を見せたら、なんていうだろう。今でも、ちょっとくらいはくやしい。けれど実際問題、英語に背を向け続けていたら、あの先生とも、この先生とも話せなかったのだ。