消化・消費・消耗生活

久々に東京へ出て、「句会」という遊びを教えてもらって、お互いに俳号という別の名を名乗ったり、また違う店ではお互いに名乗り合わないままの会話などして、遅くまでたのしく飲んでから帰る。

お酒を飲んだ翌日はものすごく、タンパク質とスポーツドリンクがほしくなる。十二月の日曜日、朝九時、八万円くらい重課金して全部絹で揃えた寝具の中で全裸で目を覚まし、マジで動きたくなく、まあまあ酔って帰ったのに寝る前にベッドサイドにちゃんと魔法瓶入りのローズヒップティーを用意してから寝たわたくしはビューティーね。えらいわね。となる。すごくちっちしに行きたいけどベッドから出たくないので、排水をしないまま給水をする。つまり、ちっちしに行かないままベッドでローズヒップティーを飲む。自分の体は昨日のお酒と今朝のローズヒップティーを入れた水袋であるなあと思って面白くなる。ベッドから出るとベッドに入る前に脱ぎ散らかしたものが床にぺっぺと落っこちている。昨夜の自分の抜け殻である。あたらしいわたし、デビュー。排水、のち二度寝。

川端康成先生にクゥンクゥンってしに行った様々な人々のうち太宰治は「賞くれ(大意)」って言っていた。北条民雄は「賞」とかじゃなくて、「きっと返事を下さい(中略)きっと御返事を下さい」って言っていた。川端康成先生に見てもらいたい作品をまだ書き上げていないうちから、「先生に見て欲しいです、きっと返事を下さい」ってなっていた。でも「川端」じゃなくて「河端」って書いちゃっていた。

「賞」というのは要するに「文学などという、それそのものでは別に腹の膨れないものをやっていてもこのまま食っていけるという感じ」の言い換えなのかもしれない。北条民雄はそのあと「文學界」で賞をもらって百円の賞金を得るわけだけれど、北条民雄が書いていた時代というのは文学の世界が今よりよっぽどクズ(愛情を込めてクズと言う)の掃き溜めだったわけだし、百円もらえるはずが五十円しかもらえなくて、北条民雄は五十円を全部飲んじゃったらしい。その後で「飲まないで本を買えばよかったな」ってしょんぼりしていたらしい。二十歳そこそこの子の話である。二十三歳で病死してしまう子の。

そんなことを考えながらしばらく布団で転げ回った後、嫌々ながら服を着て、「外に出るのと腹が減ってるのとどっちが嫌か」と考えて、「腹が減っているほうが嫌だ」ってなるほど腹が減るまでうだうだしてから、寒い外に出た。色々と買い求める。新米。コーヒー豆。プリン。卵。チータラ。いなだ。泥ネギ。GREEN DAKARA。すべてがプラスチックに包まれている。

帰宅。GREEN DAKARAをガン飲みする。あーっ、みたいな気持ちいい吐息が出てしまう。こないだ友達の前でハイボールを飲んだ時に「すごいいい音をさせてゴクゴク飲みますね」って言ってもらったんだけどそこに気付いてもらえて嬉しかった。飲むとか食べるとかいうアクションは寝るとか性行為をするとか風呂に入るというアクションと同じくらい「あーっ、生きてるーっ」っていう感じのものなので、それらをなすときは「あーっ、生きてるーっ」感を大事にしながらやったほうが生命エネルギーが体に巡る気がする。手回しコーヒーグラインダーでコーヒー豆をゴリゴリ挽いて、アウトドア用のコーヒーフィルター使わないコーヒー濾し(と言うの?なんと言うの?)で淹れて、プリンをむさぼり食いながら、熱いままのコーヒーをガン飲みする。

二十歳で一人暮らしを始めてまず思ったのは、「コーヒーフィルターとか洗剤とかラップとか、買っても特に楽しくならないものにお金を使うのやだな」ということであった。誰かに食わしてもらっていたうちは、大体、買ったら楽しくなるものにお金を使わせてもらっており、例えば切符を買うのでもそれでどこかに行けて楽しいわけだし、高校の購買でフライドポテトを買うのでもそれで命がつなげるということ以上にフライドポテトがおいしいので楽しかった。普通自動車免許の授業料を支払った結果も楽しかった。普通自動車免許を取るための学校の購買で売っているフライドポテトもめっちゃ美味しかった。

でもコーヒーフィルターを買った結果は特に楽しくない。

北条民雄が五十円飲んじゃって「ああ、本を買えばよかったのにな」って後でしゅんとしちゃったのも、特に楽しくなかったんだと思う。飲んでいる間も、後悔している間も。

「このまま食っていけるという感じ」をできるだけ多くの人に味わってもらうために大量生産大量消費社会が組まれた。「このまま食っていけるという感じ」を国家の支配者層が味わうために大量生殖大量消費社会が組まれた。人がガンガン使い捨てられて死んだ。物がガンガン使い捨てられて深海の底に沈んでいる。

https://www.afpbb.com/articles/-/3377511

南米のチリのアタカマ砂漠というところで「ファストファッション」と呼ばれるあれが大量にベシャーーーって散らかされていて砂が見えないくらいになっていて、生産性高く収益性高く合理的に生産された合成繊維とかの服はウン百年かかっても全然自然分解されないし、なんなら金持ちの国から善意で寄付された無料の衣服がドカドカ入ってくるせいで貧乏な国の服飾関係者は全然服を買ってもらえなくなってもっと飢えるし、そういうわけでそれぞれの民の伝統衣装の技術とかも全然継がれなくなってしまう。という、ファッキンクソです終了ですニュースがスマホ越しに飛び込んできた。早く人類が滅びないかなと毎日思うんだけどおれは大魔王じゃなくて人類なので、滅ぼせないし滅びられない。滅ぼすエネルギーより創り出すエネルギーのほうが大概強いということを、SNSで匿名ネチネチ叩きしている人々の餌食にされそうになったけど創作をやめないクリエイターの横顔とか見ていて最近自分の信仰にした。おれはもう二度と合成繊維の服を買わない。SDGsみたいなこと言えるほど協調性があるわけでもないし「はいはいまたアルファベットのなんとかじゃん。国際共通語(笑)」って思う感じのめんどくさい欧米コンプレックスを抱えたままの人間なんだが単純におれは、

ペッペと脱ぎ散らかして全裸で天然繊維100パーセント絹の布団にもぐりこむ生活が心地いいのだ。買っても別に楽しくない消耗品である使い捨てコーヒーフィルターを使わず、豆を人力すなわち自力でゴリゴリ挽く生活が心地いいのだ。生きて活きている感じがするのだ。おれって優雅で野蛮じゃんとおれが思うのだ。ワイルダーネスなのだ。ローラインガルスワイルダーなのだ。それは違うか。侵略を開拓って綺麗に言い換えるのは欺瞞だ。

おれは南米チリのアタカマ砂漠に善意で寄付したファストファッションをぶっ広げて「あら貧しい国の人々のためにいいことをしたわ」とニコニコしているクソみたいな富裕国の年収四百万円でありたくないのだ。ただでさえ自分を汚いと思っているのに、さらにアタカマ砂漠まで汚すなんて、もっと「僕は汚い」という感情になる。それはそれでそんな自分が気持ちいいんでしょという自己陶酔まで感じてしまってまじで全部滅びて欲しい。だから嫌です。しない。ローズヒップティーを飲みたいです。ティーバッグを使わないやり方に変えようと思います。

消費させられ消耗させられ消費者と呼ばれ生きていく。そういう日々を客観し、ゲロ吐きそうだが消化して、なんとか、生きていこうと思う。言い換えれば殺されないようにいようと思う。ハッピーエンドに殺されない。きちんと、人間社会を外れる時間を持っている人間として。