この外側がきっとあるから

いまだにあの悪夢を見る。
一人で安心して眠れる場所がない夢。
眠っている間におびやかされる夢。
毎週日曜日に嫌なところへ無理やり連れて行かれる夢。

目覚めたら水曜日。
朝の8時半。一人で安心して眠れる部屋。
頑張って働いて買った、10万円の羽毛布団が、すっかり自分の匂い。
生き物として安心する。ここまで脱出してきたのだ。

朝日がさし込んでいる。
白湯と薬を飲む。体が温まるのを待ちながら、スマホで読み切りのエロ漫画を買って読む。こういう時に隠れる必要がもうなんもないという幸せを噛み締める。なんか人気らしい作品。男性に対して受動的だった女性が、男性を“かわいい”と感じるようになって積極的になっていく、それを“性癖が歪む”と表現している。ほーん? と思う。

中学生の頃、布団の中に隠れて、女子高生と女性小説家の官能小説を読んでいたのを思い出す。“同性愛に目覚めさせられてしまう”とか、“普通の女の子だったのに”とか。人間は、自由を感じるために縛られたがるものなのかもしれない。だだっ広い世界に放り出されて「さあ、どこへでも行ける!」じゃ不安だから、自分たちで自分たちを閉じ込めて、「ここが普通!ここが一番!」ってやって、そのあとでこれをやるのだ。
「えへへ……ちょっと逸脱しちゃった……わたし、悪い子だよね……?///」

いつもいつもいつもいつもいつもいつも遠いところを想ってきた。
みなみなさまの自縄自縛の性癖に付き合わされるのはまっぴらごめんである。

好きな先生の最終講義で教わった、故郷喪失者という概念を思い出す。
故郷なきものは幸いである。
牢獄から空を見上げた時に、この星の上のほんの一部、自分が生まれた故郷だけを想うような状態でいたくない。この星の、欲を言えばこの宇宙の、すべてを自分の故郷だと思えるように生きていきたい。その身がたとえ牢獄にあっても、空を見上げ、まだ見ぬところを想う、心の自由を決して奪われない人でありたい。

まじで無理だなと思う時、ギリシャ語が支えだった。真っ青な海に白い建物、パルテノン神殿に刻まれた文字を今でもほぼそのまま使っている人々、神話、レモン、オリーブ、リラの花、そんな島々から海を渡ってここまで風が吹いてきているのかもしれないって思うとなんとか生きることができた。学習デスクでピカチュウのノートにギリシャ語を書いている中学生だった。

今のデスクには、遠いところに住む大切な人が、土地のチョコレートと一緒に国際郵便で送ってくれたギリシャ語の本。巻末には、ギリシャ語とフランス語とドイツ語を比較できるようになっている単語表。古代の漢民族の人が考えた、胃と心を落ち着ける漢方薬。先天的に心臓の病を抱え、対談本で「死ぬ時は新聞に載りゃあいいかなと思ってるんで(笑)*」と言い放ち、すぐ死んでしまう虫の名前でヴィジュアル系バンドをやって、オリコンニュースに「眠れない」っていう言葉を残して自死したヴォーカリストのいたバンドの“心中歌”と題したベストアルバム。2006年の。自分が高校生だった頃の。それから、美空ひばりの伝記。500円玉。1年前にニュージーランドで買った、飲み干したいくらい美味しい蜂蜜喉スプレー。100均で買ったMADE IN THAILANDのジョッキグラス。使い尽くして捨ててない赤ボールペンの芯。「Sorry, I missed church. I was busy practicing witchcraft and becoming lesbian.」って書いてある、毎週日曜日に嫌なところへ連れて行かれて産めよ増やせよ思想を植え付けられることに抵抗した魔女ちゃんのイラストが描いてあるウエストハリウッドの土産物マグネット。パソコン。またあの頃みたいに書きたくてつけ始めた、インターネットでの日記。

一つ一つ、確かめる。もう、あの夢を見ないように。

* https://www.sbcr.jp/product/4797352993/ p.105